2009-07

あの時に解散していればここまで追い込まれることはなかった。

下記は 2008/12/29 の私の投稿です。遅くとも、クリスマス解散を断行していれば、麻生首相はここまでぶざまな姿を見せることはなかった。細田幹事長も選挙事務所を借りて解散に備えていた。決断すれば麻生首相の意向はすんなり通ったはずだ。
麻生首相は「そのうちに支持率が上がる」という根拠のない期待を抱いて、いたずらに時間を空費していった。そこには国民のいら立ちや中小企業の苦しみなど無視されていた。

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★自民党の三人の総裁を見ていると、三人とも人が追い込まれていくパターンを例示している。
「決断できない、優柔不断というのはこうやって人を失敗に導くんだなー」という例として判りやすい。

安倍元首相は昨年の7月の参議院選挙で「この選挙は私を選ぶのか、小沢さんを選ぶのか?という選挙です」と云って選挙をやった。そして負けた。安倍さん流に云えば、国民は小沢さんを選んだのだ。それなのに図々しく居座って、結果的に、政権放り投げとなって政治生命を失くしてしまった。
参議院選挙で負けたとき、さっさと退陣していれば、もう一回安倍総理という声がかかることもあったろう。ぐずぐず決断できない人の末路は知れている。

福田康夫元総理は、洞爺湖サミットの直後が唯一解散のチャンスだった。そこで解散ができなければ、お父さんの福田赳夫さんと同じで、自前の解散総選挙ができないまま退陣に追い込まれるのではないかということが云われていた。そしてその通りになってしまった。決断というより、解散総選挙をやって自民党を浮上させようという能力も気力もなかったというのが本当のところかな。

麻生首相は、政権を引き継いだ直後の国会冒頭で解散と云うことを本人も決めていたし、自公内でのコンセンサスでもあった。ところが自民党の独自の調査で自民党が大敗するという結果に驚いて、解散を逡巡してしまった。いま考えれば、あの時にやっていれば麻生首相もここまで追い込まれたみじめな姿を見せることもなかっただろう。自民党幹事長が信じて疑わなかった11月30日選挙もできなかった。理由は支持率だ。勝てる見込みがない。

そしてクリスマス解散を模索したが大島国対委員長が大反対(読売新聞)。支持率はどんどん下がっていく。追い込まれる一方。解散が遅れれば遅れるほど国民の気持ちは政権交代へとなびいていく。
国民の支持を得ていない内閣の政策は色あせて訴えるものがない。そしてこのままでは麻生首相の歴史的評価は見苦しいものになってしまう。

この状態は政治空白だ。はやく解散総選挙をやって、連立でも何でもいい。強力な内閣をつくってこの未曾有の国難を乗り切って欲しい。自民党の国会議員の中にも同じ考えの人は多いはずだ。
麻生首相から学ぶことは「優柔不断、決断できない、そういう人の末路は哀れだ」ということだ。
不況におびえる中小企業の社長の思い (2009/12/29).。

                           
                     遅すぎた総理の決断
                     
                           
              民主党に勝って欲しい56%、自民党=23%


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